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2015年10月27日火曜日

2014年末のイタリア旅行 (15) ~ポンペイ遺跡を歩く(その8)~ バジリカ、アポロ神殿、エルコラーノ門、秘儀荘

 2014年末・年始にイタリアに旅行した際の写真などをお届けします。 引き続き、 今回もポンペイに行った際の写真などをお届けします。今回は、バジリカ、アポロ神殿、エルコラーノ門、秘儀荘です。

(25) バジリカ

 バジリカBasilicaは、紀元前2世紀に建てられた壮大な建物で、街の民事裁判所を擁していました。建物に"bassilica"と刻まれていたことから、この名が付けられたそうです。
 また、市民の商談の場でもあり、また、様々な人が行き来したため、壁には無数の落書きが刻まれたそうです。中には下品なものもあったとか。いつの時代も変わりませんね。。。
 

(26) アポロ神殿

 アポロ神殿Tempio di Apolloは、アポロを祀った神殿です。アポロ崇拝はもともとギリシア人のものですが、ギリシア植民地を通じてイタリアの人々に流行っていったのだとか。
 神殿の奥には、やはりヴェスーヴィオ山が見えます。

アポロ神殿。柱廊のアポロのブロンズ像は、矢を射る恰好をしている。

(27) エルコラーノ門と共同墓地
 エルコラーノ門Porta Ercolano e la Necropoliは、ポンペイの中で一番重要な門で、港から来た馬車が入り、ナポリ方面から来た全ての往来が通りました。
エルコラーノ門。
この通り沿いには、墓が建てられていました。小礼拝堂式の墓や、祭壇式の墓などが見られます。写真を撮った時は何気なく撮ったのですが、言われてみると、確かに墓という雰囲気がありますね。
小礼拝堂式の墓。

祭壇式の墓。

(28) 秘儀荘

秘儀荘の遠景
秘儀荘Villa dei Misteri はポンペイ遺跡からやや離れ、エルコラーノ門から少し歩いたところにあります。
 フレスコ画には”ポンペイの赤”が使われ、実に鮮やかです。作品は、紀元前70~60年の改築時に描かれたものと言われています。
 一連の秘儀の壁画の解釈は多種多様な仮説・推測が行われていますが、現在は、花嫁と思われる若い女性が「ディオニュソスの奥義」に入信するための儀式の一連の流れを組み立てたもの、との説が有力なのだとか。





左側の少年は、若きディオニソスで、儀式の規定を読み上げており、ヴェールをまとった女主人か女司祭とみられる女性がその左に立っています。







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2014年末のイタリア旅行 (14) ~ポンペイ遺跡を歩く(その7)~ フォロのテルメ、悲劇詩人の家、ジョーヴェ神殿、エウマキア館など

 2014年末・年始にイタリアに旅行した際の写真などをお届けします。 引き続き、 今回もポンペイに行った際の写真などをお届けします。フォロのテルメ、悲劇詩人の家、ジョーヴェ神殿、エウマキア館の写真が中心です。


(20) フォロのテルメ
 フォロのテルメTerme del Foroは、ローマの植民地となった年に公衆施設として建設され、多くの市の権威者が通っていたそうです。テルメとは、ドイツ語では温泉と訳されているようです。確かに火山のすぐそばにあったので、温泉が湧いていても何ら不思議ではありませんね。
 
温水浴場(カリダリウム)の様子。

男性用の冷水浴場(フリジダリウム)。

更衣室(アポディtリウム)の様子。天井の様子が印象的。



温水浴場の様子。ほてりを覚ますための冷水を張った大理石の浴槽が見える。

ここに冷水を張り、ほてりを覚ました。





(21) 悲劇詩人の家
 悲劇詩人の家Casa del Poeta Trugicoは、フォロのテルメの向かいにある中流家庭です。玄関に威嚇する犬と「猛犬に注意!」と書いたモザイクがあります。書斎に、劇の場面を現した非常に細かいモザイクとイリアスの神話の情景を描いたいくつかのフレスコ画が発見され、この家の名の由来となったそうです。
 犬がご主人様を守るというのは、今も昔も変わらないんですね。
猛犬への注意を促したモザイク。


(22) ジョーヴェ神殿
ジョーヴェ神殿を正面から見たところ。

 ジョーヴェ神殿Tempio di Giaveは、カピトリウムと呼ばれ、神殿内にはジョーヴェ、ユノ、ミネルバの神像が祀られていたということです。写真では良く見えませんが、この向こうにはヴェスーヴィオ山を望むことができます。


(23) フォロ
ジョーヴェ神殿から見たフォロの様子。
ジョーヴェ神殿はポンペイの最も重要な広場であるフォロIl Foroに面しています。フォロ内は歩行者に限られ、荷車の侵入は禁止されました。ここには神殿、行政機関、裁判所、市場が集まっていました。
フォロの向こうに見えるジョーヴェ神殿と、さらに奥にヴェスーヴィオ山が見える。

(24) エウマキア館
 エウマキア館Edificio di Eumachiaは、ヴィーナスの神殿の巫女エウマキアが所有した壮大で上品な建物です。エウマキア館は毛織物製造業同業組合の本部であったと考えられています。


エウマキア館の入口。
エウマキア館の門は大理石の彫刻が施されている。

エウマキア館の柱廊。


 

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2015年10月25日日曜日

2014年末のイタリア旅行 (13) ~ポンペイ遺跡を歩く(その6)~ 狩りの家、ファウノの家、フォルトゥーナ・アウグスタ神殿など

 2014年末・年始にイタリアに旅行した際の写真などをお届けします。 前2回に引き続き、 今回もポンペイに行った際の写真などをお届けします。ヴェッティの家、狩りの家、ファウノの家、フォルトゥーナ・アウグスタ神殿などなどが中心です。




(16)ヴェッティの家
 ヴェッティの家Casa dei Vettiは裕福な商人の家です。残念ながら改修中のため、中には入れませんでした。
 ただ、有名な入口の絵は撮ることができました。
 入口の右側に、巨大な男根と金貨の入った袋を天秤にかけている生殖の神プリアポスが描かれています。この絵画は金持ちの象徴とされたそうです。玄関にこんな絵を飾るというのは、今の世の中ではちょっと考えられませんね。
性器の重さをはかるプリアポス。

(17)狩りの家
 狩りの家Casa della Caccia Anticaは、庭の壁に昔の狩りの様子が描かれています。これが家の名前の由来です。

狩りの家の庭
入口の左側の壁に、翼を持つ人物が描かれている。







(18)ファウノの家
 ファウノの家Casa del Faunoは、ポンペイの家の中でも最も大きく豪華なものです。持ち主に関する記述は1つも残されておらず、広間の入口に踊るファウノの小さなブロンズ像が置かれていたことに家の名が由来しているのだとか。
 書斎には遠近法を用いた立方体模様の床があり、ここで宝石や金品を身に着けていたと思われる人骨が発見されたとか。また、屋外の広間の床に、「アレキサンダー大王とダリウスのイッススでの戦い」のモザイク画が発見されています。写真では余りきれいには撮れませんでしたが…。
 これだけのモザイク画を自分の家に施すとは、相当なお金持ちであることは間違いありませんね。

雨水貯めのある入口の広間。


ファウノの家の書斎。遠近法を用いてひし形で立方体を表現している床。

床一面のモザイクに加え、中央はハトのモザイクも。


「アレキサンダー大王とダリウスのイッススでの戦い」のモザイク画。

(19)フォルトゥーナ・アウグスタ神殿
 フォルトゥーナ・アウグスタ神殿Tempio della Fortuna Augustaは、キケロの親類であり、またポンペイの権威者であるマルクス・トゥリウスの資金によって建立されました。この神殿は、皇帝崇拝の普及で政治的な価値をお持ち、新しい皇帝が帝位に就くと閣僚たちは直ちにこの神殿に像と碑板を奉納したそうです。

フォルトゥーナ・アウグスタ神殿



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2015年10月24日土曜日

2014年末のイタリア旅行 (12) ~ポンペイ遺跡を歩く(その5)~ スタビアの公共浴場と金色キューピットの家 

 2014年末・年始にイタリアに旅行した際の写真などをお届けします。 前2回に引き続き、 今回もポンペイに行った際の写真などをお届けします。スタビアの公共浴場と金色キューピットの家が中心です。



(13)スタビアの公共浴場(続き)
 スタビア浴場はかなり施設が充実していたので、その続きです。
スタビア浴場にはその中庭は体育場になっていました。




温浴室の後陣部には冷たい水の入った大理石の水盤が置かれ、ほてりを覚ましたという。


(14) 逃げ遅れた人々
 スタビアの公共浴場には、逃げ遅れた人の石膏も展示されています。表情まで伝わってきて、何とも痛ましいですね。。。





(15)金色キューピットの家
 金色キューピットの家Casa degli Amorini Daratiは、ヴェッティの家の向かいにあり、皇帝ネロの後妻の一族が所有していたということです。家の名は、金箔の裏地にキューピットを刻んだガラス製の小さな円盤が、寝室の小神殿にはめ込まれていたことに由来します。

床中央のモザイクが印象的。



金色キューピットの家の中庭



金色キューピットの家の寝室







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